小林照子のハッピーメイク、からだ化粧ってなに?wikiプロフィール、学歴、経歴まとめ【人生晴れレシピ】

企業の社長

こんにちは。旭田涼捺です。

2024年5月31日に放送される「明日も晴れ人生レシピ」美容、研究家小林照子氏が出演されましたね。

なんと、小林氏は88歳、その快活さは、70歳以上歳の離れた若者も憧れる存在だそうです。

「化粧品会社コーセーの元取締役」「メイクアップアーティスト」「美容専門高校の学園長」など、様々な肩書を持つ美容業界の第一人者です。

そんな美容研究家の小林照子氏とは、一体どんな方なのでしょうか?

小林氏が提唱するハッピーメイクからだ化粧とはどんなメイクなのでしょう?

プロフィールや学歴、経歴といろいろ気になってきましたので、皆さんにもご紹介したいと思います。

最後までお付き合いいただけますと嬉しいです。

小林照子氏が提唱するハッピーメイクって?

個性を輝かせ、自分の幸せに向かって動いていくメイクアップ方法

小林氏は、「メイクアップの目的は、欠点を隠すことでも、流行を追いかけることではなく、この世にたった一つのあなただけの個性を輝かせるもの」とおっしゃっています。

そして、自分の個性をプラスに捉え、メイクアップで魅力を表現するともっと自分を愛せるようになるそうです。

自分を愛せる…。

ハッピーメイク、心が躍ります!

小林照子氏のからだ化粧とはどんなの?

1981年に小林氏が創出した唯一無二のアートで、全身に化粧を施すものです。

世界中で髙く評価されており、創造的なデザインはその場のインスピレーションで描いていくそうなんです。

モデルの体と対話するように息づかいや動きを感じ取りながら指で陰影を付けていき、その中で線が見えてきてデザインとなるそうなんです。

まさに芸術!

からだ化粧は人の創造力を触発する不思議な力があるそうです。

小林照子氏のwiki風プロフィール

名前:小林照子
誕生日:1935年2月24日生まれ(年齢88歳)
出身:東京都練馬区
所属:「美・ファイン研究所」代表取締役社長/「フロムハンドメイクアップアカデミー」    「青山ビューティー学院」校長

1935年に東京都練馬区に生まれた小林照子氏。

当時の練馬区は、軍需工場が出来たりと戦争が間近な生活だったようです。

戦争真っただ中の小学4年生の時には、東京から山形県狩川町への疎開を経験しています。

私たちの想像を絶する中、18歳の時に疎開先で仲間と演劇サークルを創設。

その時に体験したメイクアップの経験が、今のメイクアップアーティスト・小林照子氏の源泉となっているそうなんです!

「演劇のメイクをする人になりたい」

このような夢を抱き19歳の時、メイクアップアーティストになるために、東京の美容学校への進学&上京を決意したそうです。

小林照子氏の学歴は?

東京高等美容学院です。

現在渋谷区にある住田美容専門学校の前身と思われます。

東京に上京した彼女は、昼間は保険の外交の仕事をしながら、夜間は「東京高等美容学院」の夜間部に通ったそうなんです。

東京高等美容学院を卒業した小林氏は悩みます。

周りの多くは美容院に就職する中、メイクアップアーティストを目指して上京してきたのに、どうしたら自分の夢を実現できるのかがわからなく、就職先を決めかねていたと。

そんな時、「美容指導員募集」という小さな新聞広告を目にしたそうです。

その広告は、小林コーセー(現コーセー)のものでした。

この些細ですが運命的な出来事をきっかけに、彼女は化粧品会社「小林コーセー」に美容指導員として入社したそうです。

小林照子氏の経歴は?

1958年:「小林コーセー」に美容指導員として入社
1965年:マーケティング部美容研究室へ異動
1985年:コーセー初の女性取締役に就任
1991年:独立して「美・ファイン研究所」設立
1994年:メイクアップアカデミー「フロムハンド」設立
2010年:「青山ビューティ学院高等部」東京校開校。
2013年:「京都校」も開校

1958年、コーセーの超高倍率の入社試験をパスし美容部員として2年勤務します。

美容部員の修行時代は山口県に配属され1日100名の対応したことも。

実技の腕を磨き、行く先々で評判になり、売り上げをドンドン伸ばしていったそうです。

美容指導員・本社教育課などで経験を積み、

入社7年目1965年、30歳の時にコーセーの「マーケティング部美容研究室」へと配属されます。

この部署は、新たな商品を開発しながらその売り出し方を提案する部署だったそうなんです。

この部署で、彼女の能力が花開き、今や美容界では当たり前になっている「美容液」や「パウダーファンデーション」を世界で初めて小林氏がこの部署で生み出した化粧品だったのです!

その後、功績が認められ、1985年、50歳の時にコーセー初の女性取締役に就任します。

一方で、ここまで上り詰める過程では様々な葛藤があったようです。

美容部員の育成を任されていた27歳で結婚、その後29歳でお嬢さんを授かります。

現代とは違い保育園もない中、子育ての仕事の両立は想像以上だったそうなんです。

毎日お子さんを見てくれる保育ママを探していたそうです。

またご主人からも「だから辞めろと言っただろう」と口癖のように言われていたそうです。

一日一日がさぞかし大変だったことと思います。

その後6年程が経過し、1991年コーセーを退職します。

そして、退職し後最初に行ったのが「美・ファイン研究所」の設立でした。

こちらはお嬢さん(小林ひろ美さん)と一緒に設立しています。

美・ファイン研究所は、「美=外見の美」と「ファイン=心の美」を組み合わせた社名ですね。

つまり彼女は、美とファインに関する研究を行うために会社を設立したのです。

独立して次に行ったのが、メイクアップアカデミー「フロムハンド」の設立です。

つまり、自分以外の「プロのメイクアップアーティストの育成」=「後進の育成」に尽力し始めます。

さらに、2010年には美容専門の高等学校「青山ビューティ学院高等部」東京校を開校します。

この高校は、文部科学省の高等教育課程に基づいた学科で高校卒業資格の取得を目指しながら、美容に関する知識や技術も学べる、新しい形態の専門高等学校なのだそうです。

その後、2013年には「京都校」も開校します。

高校の卒業を待たず、美容ついて学べるとは現代のニーズに合わせた後進の育成と思いませんか?

まとめ

いかがでしたか?

「化粧品会社コーセーの元取締役」「メイクアップアーティスト」「美容専門高校の学園長」など、様々な肩書を持つ小林照子氏についてご紹介しました。

  • 1935年に東京都練馬区に生まれた小林照子氏。
  • 戦争真っただ中の小学4年生の時には、東京から山形県狩川町への疎開を経験。
  • 18歳の時に疎開先で仲間と演劇サークルを創設、その時に体験したメイクアップの経験が、今のメイクアップアーティスト・小林照子氏の源泉となっている
  • 19歳の時に東京の美容学校への進学&上京を決意し、昼間は保険の外交の仕事をしながら、夜間は「東京高等美容学院」の夜間部に通いメイクアップアーティストをめざす
  • 1958年:「小林コーセー」(現:コーセー)に美容指導員として入社
  • 1985年:コーセー初の女性取締役に就任
  • 1991年には独立して「美・ファイン研究所」設立
  • その後、メイクアップアーティストになる為の専門学校を開校し、自分以外の「プロのメイクアップアーティストの育成」=「後進の育成」に尽力してる
  • ハッピーメイクとは個性を輝かせ、自分の幸せに向かって動いていくメイクアップ方法
  • からだ化粧とは、全身に化粧を施す技法で創造的なデザインはその場のインスピレーションで描いていくそう

今後の益々のご活躍を心より祈念致します。

 

私もメイクアップを施していただきたいです。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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